千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長をご存じでしょうか?
工藤校長は麹町中で「宿題の廃止」「定期考査の廃止」「固定担任制の廃止」「服装頭髪指導をしない」などの様々な改革をしてきました。
なぜこれらのような改革をしてきたのか?どのように改革してきたのか?という疑問があったので、工藤校長の著書の「学校の「当たり前」をやめた」を読みました。
本書では、これらの改革について詳しく解説されていて、疑問を解消することができました。
本書の中から、工藤校長の基本的な考え方といくつかの具体的な事例を紹介します。
学校の「当たり前」をやめた。
工藤校長はなぜ様々な学校の「当たり前」をやめたのでしょうか?その答えを知るには、工藤校長が教育を行う上で大切にしてきた3つの考え方がカギになってきます。
■上位目標を忘れない
■目的と手段を取り違えない
■自律のための教育を大切にする
この3つの考え方をもとに「宿題の廃止」「定期考査の廃止」「固定担任制の廃止」「服装頭髪指導をしない」などの様々な改革が行われました。
本書では、これらの改革がなぜ行われたのか?どのように改革したのか?が詳しく紹介されています。
それらの改革の中から「宿題の廃止」「定期考査の廃止」「生徒指導」について簡単に紹介します。
宿題の廃止
工藤校長は麹町中の「宿題を廃止」しました。
まずは「目的と手段」の視点から「宿題」を見てみましょう。
教師が宿題を出す「目的」は何ですか?宿題の目的は、子どもの学力を高めるためですよね。宿題は学力を高めるという目的を達成するための手段の一つです。
では、宿題は本当に子どもの学力を高めることができるのでしょうか?
工藤校長は「宿題は、わかっている子にはムダ、わからない子には重荷になっている」と指摘しています。なぜなら学力を高めるためには「分からない」問題を「分かる」ようにするプロセスが必要だからです。
メンタリストのDaiGoさんもデューク大学の研究を根拠に、宿題はやる意味がないと述べています。
効果がないのに宿題を与えて、提出しなければ罰を与えるというのはパワハラに近いような印象があります。教師が「関心・意欲・態度」を評価するため、成績をつけるために宿題を出していませんか??
次に「自律と当事者意識」の視点から「宿題」を見てみましょう。
工藤校長は「宿題はやらされる学習であり、自律的に学ぶ姿勢を奪っている」と指摘しています。
たしかに、宿題をたくさん出されてしまったら、自分の興味を持ったことを調べる時間や主体的に学ぶ時間が無くなってしまいますよね。また、大人になっても自分で調べることをせず、与えられたことしかできないような大人になってしまうかもしれません。
宿題を廃止したことで生徒たちは「自分の時間を自分の考えで使うことの大切さ」を感じているそうです。
宿題は学力を高めることができないし、自律的な学びを奪ってしまうから宿題を廃止したんですね。
定期考査の廃止
工藤校長は麹町中の「定期考査を廃止」しました。
まずは「目的と手段」の視点から「定期考査」を見てみましょう。
定期考査の「目的」は何ですか?定期考査の目的は学力の定着を図るためですよね。通知表をつけるため、評価をするためではないのです。
多くの生徒が直前に叩き込んだ知識で回答する「定期考査」は適切な評価の方法ではありません。ある時点の最大瞬間風速で評価することに意味はないのです。もちろん、一夜漬けで学力が定着するわけありません。
そこで工藤校長は定期考査を廃止し、単元テストを導入し、実力テストの回数を増やしました。
単元テストは単元の終わりに行う学習のまとまりのある小テストです。単元テストは再チャレンジが可能なので「できない」を「できた」にして確実に習得することができます。
再チャレンジを選択できるのは「自律と当事者意識」の視点からも生徒のためになると思いました。
実力テストは出題範囲が不提示で本当の学力を測ることができるテストです。以前は年に3回だった実力テストを年に5回に増やしたそうです。
テストの回数が増えることで「テスト効果」が働き、学習内容を定着させることができます。
「テスト効果」などの効果的な勉強法は「進化する勉強法」や「超効率勉強法」で紹介されています。
生徒指導
工藤校長は麹町中の「生徒指導の見直し」をしました。
まずは「目的と手段」の視点から「生徒指導」を見てみましょう。
生徒指導の「目的」は何ですか?生徒指導提要では以下のように記されています。
生徒指導は、すべての児童生徒のそれぞれの人格のよりよき発達を目指すとともに、学校生活がすべての児童生徒にとって有意義で興味深く、充実したものになることを目指しています。
生徒指導提要
「服装頭髪の乱れは心の乱れ」として服装や頭髪が校則を違反すると厳しく叱る体育教師はいませんでしたか?厳しく叱る必要はあるのでしょうか?そんな校則は必要でしょうか?
工藤校長は「叱るものさし(優先順位)」を持って、どうでもよいことと、どうでもよくないことを分けて叱りませんか?と提案しています。
どうでもよいことなら軽く注意を促せばよい。逆に、命や人権に関わること、差別や暴力といった行為には厳しく対応し、自身の言動の意味を認識させる必要があります。
学校の「当たり前」をやめた。
麹町中では、服装・頭髪の指導は一切行わず、校則もシンプルなものに変えたそうです。
少し話がそれますが、Twitterで「指導案の形式が少し間違っているだけでも指導案を見ずにシュレッダーにかける学校がある。 」というツイートを見ました。これも目的を見失って、意味もないルールに縛られている一例ですね。
「目的と手段」を取り違えて、それに気づいていない人が多いなと改めて感じる事例でした。
話を戻して「自律と当事者意識」の視点から「生徒指導」を見てみましょう。
服装・頭髪の指導や厳しい校則がなくなれば、服装・頭髪に関する自己決定権が生まれ、当事者意識が高まるのは容易に想像できます。
それだけではなく麹町中では「服装・頭髪のルールの権限をPTAに委譲」「生徒を巻き込んだ制服のあり方に関するシンポジウム」などが行われているそうです。
自分たちで考え、話し合い、決定するからこそ当事者意識が高まるのだなと強く感じました。
まとめ
■上位目標を忘れない
■目的と手段を取り違えない
■自律のための教育を大切にする
工藤校長のこれら3つの考え方はとても勉強になりました。その中でも、当事者意識がないからすぐに他人のせいにしてクレームを言うという考えには特に共感しました。
本書では他にも「固定担任制の廃止」「運動会のクラス対抗の廃止」「班新聞などの書く指導」「ノートの取り方」「けんかの仲裁」など様々な事例が紹介されています。教育関係者の方は、是非一度本書を読んで自身の教育に活かしてほしいと思いました。
子どもが社会の中でよりよく生きていけるようにするために
References
https://amzn.to/2AYmkmD
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/__icsFiles/afieldfile/2018/04/27/1404008_02.pdf
https://youtu.be/LZTy-ps_gyM